ふくしまカレンダーに込めた思い(特集:東日本大震災から12年 被災地は今 より)

文・写真/やまがなおこ

 
2011年の東京電力福島第一原発事故。
未曾有のできごとに直面し、先の見えない大混乱を経験しながら、
「原発はもういらない!」「事故を繰り返すな!」の思いをカレンダー
として形にしてきた女性たちがいます。
2023年版で10冊目となる制作を牽引してきた黒田節子さんにお話を伺いました。
 

 

ふくしまカレンダーに込めた思い
黒田節子さん(ふくしまカレンダー制作チーム)

<思ってもみなかった原発事故>

福島県南会津郡只見町で生まれ育った黒田さん。
30代前半に奄美大島の集落で暮らしたことがあり、
農業をやろうと家族と共に福島県大沼郡昭和村にUターン。
おりしも1986年のチェルノブイリ原発事故を受け、
人々の間に脱原発の運動が大きく広がった時代でした。
黒田さんは子育てをしながら昭和村で盛んだったかすみ草栽培に取り組む傍ら、
脱原発福島ネットワークや、武藤類子さんらのハイロアクションなどに参加。
東京電力福島第一原発のゲート前での廃炉を求めるデモ行進にも、
子連れで参加していたといいます。

「でも、そんな活動をしながらも、まさか自分たちの足元で、
福島で、壊滅的な原発事故が起こるなんて……。
緊張感を持っていたかというと、そうではなかったと今になれば思います」

リーマンショック後、花の単価が下がり、花卉栽培がむずかしくなったことから郡山に。
市の保育所の臨時職員をしていたときに東日本大震災に遭遇しました。
住まいは幸い無事でしたが、水が止まり、飲料水は店頭から消え、トイレはたちまち使えなくなる……。
繰り返す余震のなか、3月12日午後に一号機が水素爆発を起こします。

「とても天気のいい日だったんです。給水車の列に並びながら、
このきれいな青空に放射能が流れているんだと思っていました」  

原発の危険性を知っていた黒田さん夫婦は避難を決め、13日朝、
友人たちに「私たちは避難します……共に生きましょう!」とメールを送り、
妹さん一家のいる高崎に向かいました。
その後、ともかくもいったん帰ってみようと郡山に戻り、
市内最大の避難所ビッグパレットにボランティアに入ります。

「初めて避難所の中を見たときの光景は……。
事故後半月くらいでどんどん避難してくる人もいて混乱の極みでした。
横になるスペースを確保するのもたいへんで、家族や親戚で固まれる人はまだいいんです。
アジア系の女性たちが不安そうに集まっていて、
独居のお年寄りは、いちばん条件の悪いところに押しやられるんですね。
床もびちゃびちゃのトイレの近くなんかに、頭のところにオムツの包みだけがぼんと置かれていて。
しばらくして衝立ができたり、徐々に整備されていきましたけど」

 黒田さんは段ボールに「お話を聞きます。声をかけてください」と書いて首に下げ、
病院での薬の入手や入浴の申し込みなど、困っている人に寄り添う支援に明け暮れました。

・・・続きは『のんびる』3・4月号をご購読ください。


講演会場のまほらホールで語らう黒田さん。
400席がほぼ埋まるほど、多くの人々が小出さんの講演に聞き入った

この記事は、3・4月号特集でご紹介しています。
◆『のんびる』2023年3・4月号 
目次

◆ただいま注文受付中!こちらからお申込ください。

 

 

 

 

関連記事

ページ上部へ戻る