ごとう・はるき
1985年大阪府生まれ。2006年よりライフワークとしてサハリン(樺太)の取材と長期滞在を重ね、著書『サハリンを忘れない─日本人残留者たちの見果てぬ故郷、永い記憶』(DU BOOKS、2018年)を刊行。2016年にはチュコトカを訪れ、最新刊『チュコトカ 始まりの旅─ユーラシア大陸最東端へ』(柏書房、2026年)にまとめた。

ロシアの北東端、アラスカの対岸に位置するチュコト自治管区は、「チュコトカ」と呼ばれる極北の町です。後藤悠樹さんの新刊『チュコトカ 始まりの旅─ユーラシア大陸最東端へ』(柏書房)は、チュコトカの自然と「チュクチ」と呼ばれる先住民の暮らしを綴った旅の記録です。そこには不思議な縁と出会いが─
聞き手・構成/濵田研吾 
写真/堂本ひまり

一枚の写真に誘われて

─後藤さんは、サハリン(樺太)で暮らす人たちの足跡を辿り、『のんびる』にもエッセイを寄稿(※1)していただきました。そのあと旅したチュコトカは、長年のあこがれの地だったそうですね。

 高校時代、父から星野道夫(※2)さんの本を渡され、ちょっとずつ読むようになったんです。

星野さんはチュコト半島(チュコト自治管区東端)を旅した直後、カムチャツカ半島で亡くなり、“未完の旅”となりました。そのことがずっと気になっていて、「自分もいつか、ここに行くだろう」みたいな気持ちが、どこかにありました。

星野さんの『森と氷河と鯨』(世界文化社、1996年)をお見せしたら、星野さんが撮影した一枚の家族写真を指差し、「彼を知っている!」と。それが先住民「チュクチ」であるミーシャさんとそのご一家でした。

「こんな偶然が!」とびっくりしました。星野さんが撮った写真をミーシャさんに手渡し、同じ場所で今度は私が一家を撮る。チュコトカへの旅の目的が、そのときできたんです。

─あこがれの地を旅しての感慨は?

 私が訪ねたのは2016年8月で、星野さんが旅した20年後でした。チュコトカはロシア領で、アメリカ国境に面しているため、どこに行くのも国境警備隊の許可が必要です。

 旅の不安や制約はありましたが、風景はきれいなんです。樹木の育たない永久凍土(ツンドラ)にコケが生えている。星野さんの写真にも同じものがあり、「やっと来た」と。チュクチやエスキモーの人たちも親切で、表情や雰囲気が日本人と似ていて、安心感もありました。

─星野さんの旅から20年後、今度は後藤さんがミーシャさん一家を撮った。

 ミーシャさん一家は、「ヤンラキノット」というベーリング海に面した村で暮らしていました。まだ幼かった子どもたちは成長し、お母さんは、あまり変わっていませんでした。20年後に自分がこうして撮っていることが、まるで夢のようでした。

 星野さんのエッセイ『旅をする木』(文藝春秋、1995年)に、「人生はからくりに満ちている」という一文があります。その言葉どおり、不思議な縁に導かれた気がします。そのときの感動をそのまま残したくて、今回の本にも旅の日誌をそのまま載せました。

文化と政策のはざまで

─チュコトカの人たちが、旧ソビエト時代からの政策に翻弄されてきた現実も、本に書かれています。

 チュコトカの若者や子どもはふだん、ロシア語を話し、民族の言語である「チュクチ語」は学校で習います。民族の言語は本来、使うものであって、習うものではありません。それなのに、先祖代々受け継がれてきた言葉が、学校で習うものになってしまった。

 文化や言語を失うと、なぜ自分がここで暮らしているのか、アイデンティティがわからなくなってしまう。それに気づいたとき、虚しさを覚え始める。たとえ今の暮らしに慣れてしまっても、割り切れない部分があると思います。

─2022年に始まったウクライナ戦争の影もあります。

 チュコトカは、これといった産業がありません。若い人が時間を持て余している葛藤が、ちらちらと伝わってきて、なんとなく自分自身を見ているような気がしました。

仕事のないチュコトカの若者のなかには、ウクライナ戦争に行く選択をするしかない人もいます。人の結束が固い村社会でもあるので、誰かが兵を志願すると「お前は行かないのか」となるのかもしれません。
<<<続きは本誌5.6月号で

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