
おくむら・ありさ
幼い頃から吃音があり、人との違いに悩んだ経験を持つ。オーストラリア留学時に、夢だったカフェの店員に挑戦。帰国後、吃音のある若者が接客の夢に挑戦できる期間限定の「注文に時間がかかるカフェ」を全国で開催。
新しいアクションを起こしている人に注目する連載「動くヒト」。今回は、吃音のある若者たちが「接客がしたい」という夢に挑戦できる場として、全国各地で期間限定の「注文に時間がかかるカフェ(吃音カフェ)」を開催している奥村安莉沙さんです。
文/中村未絵
写真/堂本ひまり
言葉はスラスラでないけれど─
「私たちは言葉が出にくい吃音があります。言葉はスラスラでないけれど、みんな接客業の夢を持っています」これは「注文に時間がかかるカフェ」(注カフェ)のホームページに書かれている言葉です。
発起人の奥村安莉沙さんは、吃音のある若者たちがスタッフとして参加する1日限定のカフェを全国各地で開いています。
日本国内で吃音のある人は約120万人、100人にひとりの割合だと言われています。同じ音を繰り返す「連発」、最初の音を伸ばす「伸発」、言葉が出にくい「難発」など症状は人それぞれ。
「最後まで話すのを待ってほしい人もいれば、推測して代わりに言ってほしい人もいる。目の前にいる人の気持ちに寄り添って対応してほしいなと思います」と奥村さん。
奥村さんが自身の吃音を認識したのは、小学2年生のとき。授業参観があり、国語の授業で音読をしたそうです。
「授業が終わったあと、仲の良かった友達のお母さんが『ありさちゃん、最近うちの子と話している?』と聞いてきました。それで『うん、毎日話しています!』と言ったら、なぜか微妙な顔をしたんです」
数日後、「もう遊べなくなっちゃった。お母さんが、話し方がうつるかもしれないからって」とその友達が言ったとき、「私の話し方ってほかの人と違うの?」と初めて気がついたと言います。
「いまは否定されていますが当時は吃音であることを意識させると治りにくくなるという説があって、親が私には隠していたんです」。
憧れだけど諦めていた接客の夢
次第に奥村さんはコミュニケーションをとることに自信を失い、からかいを受けて中高生時代はひとりで過ごすことも。でも、本来は人と話すことが好きな奥村さん。小さい頃からカフェでの接客に憧れがありました。
「母がカフェ好きだったのでカフェ巡りが好きで、将来私もアルバイトしてみたいと思っていました。でも、私は『あ行』がとくに苦手。『いらっしゃいませ』、『ありがとうございました』が言えないや、と思って……」
大学の夏休みに奥村さんが選んだアルバイトは、誰とも話す必要がない自動車部品の組み立て工場。接客への気持ちを諦め、「適材適所」と自分に言い聞かせていたそうです。
「就職活動も200社以上受けて落ちました。エントリーシートは通っても面接で名前がうまく言えないために落ちてしまう。私は名前が、どちらも『あ行』なんですよね」
訪問介護の会社に入社後も、訪問先のインターホンで名前が言えなかったり、電話の向こうでイライラされたりという経験をしました。そんな奥村さんの転機となったのが、25歳でのオーストラリアへの語学留学です。
「就職後にシェアハウスに住んでいたのですが、外国の人が多くいたこともあり、もっと英語を学んでいろいろな人と話せるようになりたいと思ったんです。行ってみたら、多民族国家のオーストラリアでは、みんな話し方が違っていて当たり前。自分だけが特別ではなかったので居心地が良かったです」
社会的に不利な立場に置かれている人たちに就労体験の場を提供しているカフェがあり、そこで奥村さんは念願の接客を経験することができました。
「病気でひと言も話せない人もいたのですが、身振り手振りでお客さまとコミュニケーションをとっていました。それを見て、障がいがあっても接客はできるんだと知りました」<<<続きは本誌5.6月号で






