
あさの・ゆみこ
北海道生まれ。2013年、映画監督の藤野知明氏と「動画工房ぞうしま」設立。ジンバブエの音楽・ダンスグループのDVD制作・撮影のほか、藤野監督『どうすればよかったか?』(2024年)などで制作・撮影・編集を担当する。また、版画家、画家として個展を中心に作品を発表し、『般若心経:淺野由美子木版画集』(かりん舎)など作品集多数。
1970年代から当事者として、障がい者の自立生活運動に取り組んできた安積遊歩さん(※1)。
その足跡と日常を追ったドキュメンタリー映画『遊歩 ノーボーダー』が好評公開中です。
本作が監督デビューとなる淺野由美子監督に、作品のことや遊歩さんのお人柄を伺いました。
聞き手・構成/濵田研吾
写真/堂本ひまり
つねに同じ地平に立つ
─安積遊歩さんには、障がい者をテーマにした特集「生きる」(2015年5月号)で執筆をお願いしました。淺野さんが監督・撮影した『遊歩 ノーボーダー』を拝見し、そのお元気な姿がなつかしくて、うれしくなりました。
インタビューにお声がけいただいたのは、そんなご縁があったんですね。遊歩さんとの出会いは、買い換えたばかりの4Kカメラで講演会(2022年3月6日、えべつ脱原発芸術祭)を撮ったのが最初です。とにかく話が面白くて、やってきたことに度肝を抜かれました。
私はつねづね、映像を通して「複合差別」を描きたいと考えていたんです。障がい者差別のなかにも女性差別があるし、遊歩さんはフェミニストとしても声を上げてきた。その場で「撮らせてください」とお願いしたら、「ぜひ記録してほしい」と。前々から、「私のことを描いてほしい」と考えていたようです。
遊歩さんは私と近い世代で、どちらも札幌在住です。私にシンパシーを覚えるところもあったのか、取材には協力的でした。ただ、精力的に動きまわる人なので、くっついて歩くのがやっと(笑)。
─誰に対してもフレンドリーですし。
「自分がいくつになっても、みんな20代の友だちなんだ」と遊歩さんは言ってました。だから、若い介助者であっても「遊歩」って呼び捨てし合えるような関係になれる。生きづらい人にとっては、遊歩さんの存在が救いになることがあるし、遊歩さんも若者と過ごすなかで励まされたりする。
映画には出てきませんが、若い介助者が、自分の立ち位置に悩んでいたんです。遊歩さんに相談したら、「横にいて」と。前でも後ろでもなく、同じ地平に立つ。そうした関係性は、遊歩さんが小さいころから、変わっていないんでしょうね。
─愛娘の宇宙さん(※2)をはじめ、次の世代への期待は感じませんか。「あとは任せたよ」みたいな。
いやいや、まだまだ任してない(笑)。「私が教える、指導する」みたいな立場にされるのが、いちばん嫌いなんです。相手が若者だろうと、つねに同じ目線で現在を生きている。
宇宙さんのことは、妹の愛子さんが映画でこうコメントされています。「当事者として姉と違うやり方で研究し、障がい者運動を続けている」。そのことに遊歩さんも安心しているはずだし、未来につながる同志として期待していると思います。
(※1)1956年福島県生まれ。生後まもなく、骨折しやすい障がいがあると診断され、骨折と手術を繰り返す。22歳のとき親元から独立。28歳で渡米し、障がい者の自立生活運動を学び、帰国後はピアカウンセリングを紹介する活動を始めた。40歳のとき、宇宙さんを出産。ジェンダー問題、優生思想の撤廃など幅広い視野に立ち、精力的に発言を続けている。
(※2)1996年東京都生まれ。母・遊歩さんのからだの特徴を受け継ぎ、生まれつき骨が弱く、車いすで生活する。現在はニュージーランド在住で、障碍分野を専門とするドナルド・ビーズリー研究所の研究員として勤務。著書に『宇宙のニュージーランド日記』(ミツイパブリッシング)がある。
生きることに専念する
─映画に登場する妹の愛子さんは、わが道を突き進む遊歩さんと対照的です。
遊歩さんの生まれ故郷である福島を取材したとき、「妹の愛子との対話を撮ってほしい」と頼まれたんです。「福島のマザーテレサだ」と言ってましたが、小さいころから姉を支え続けた愛子さんにも複雑な思いがあった。今でいう「ヤングケアラー」ですし、家族としての悩みも話してくれました。
─遊歩さんが「生きることに専念する人」と話す、小田島優子さんとの時間も印象的でした。
優子さんは24時間、介助者がつきっきりで、最重度の障がいをお持ちです。相手を信頼し、生きることに専念する以外、なす術がない。優子さんの存在は、優生思想の問題をどう考えるか、大きな問いにつながります。
優子さんを撮影したあと、遊歩さんに「どうだった?」と訊かれました。「“生きること”“人のいのち”が何なのか、わからない」と言うのが精いっぱい。そしたら、「優子さんは、人を哲学者にする存在だ」と。そう言われて、「いのちについて、考え続けてもいい」と肯定された気分でした。
<<<続きは本誌7.8月号で






