生まれ変わった福島県富岡漁港。本格操業を待つ日々に、原発処理水の海洋放出という暗雲が・・・。
原発事故からまもなく10年目を迎えようとしている昨年12月初旬、
いわき市を起点に、国道6号線沿いに続く被ばく地域を北上しました。
道の両側に連なるあでやかな紅葉の中を、
廃墟と化したロードサイド商店街がほぼ10キロにわたって続くさまは、
「復興」がまだら模様にすぎない被災地の現実をまざまざと露呈していました。
希望は、これから紹介する市民の息の長い活動です。
まずは放射能の恐怖と闘った母親たちの物語から。
被災地は今 福島県第1回
見えない放射能汚染 子どもの健康と未来をどう守るのか
子どもを持つお母さんの心が危うい
「原発事故が起きて、いちばんショックだったのは、3月下旬、
例年通りの日程で始業式と入学式を行うという担任の先生からの電話を受けたときでした」
放射能の被ばくリスクが高く、子どもを外に出すことなど、考えられない時期でした。
講演会で聞いた識者の言葉もまた、千葉さんの心に突き刺さりました。
「チェルノブイリ事故の後にいちばん深刻だったのは病気などではない。
お母さんたちが神経質になってヒステリックになることで、
子どもたちの体も心も壊れてしまう、それが一番の問題だった」。
少なくない講演者がそう話したというのです。
それを聞いて千葉さんは、「心の問題にされてしまうのか」と違和感と憤りを覚えますが、
一方で「たしかにお母さんの心が危ない」との実感もありました。
いわき市で「ママCaféかもみーる」「いわきの初期被曝を追及するママの会」
「TEAMママベク子どもの環境守り隊」などを立ち上げ、
原発事故以降たゆまず、子どもを守る活動を続けている千葉由美さんはそう話します。
子どもにこれ以上の被ばくをさせないために
「ママCaféかもみーる」「いわきの初期被曝を追及するママの会」
「TEAMママベク子どもの環境守り隊」の「お茶会」、というよりは「食事会」。
月に1度のママたちの楽しみ。
千葉さんは、お母さん同士が支え合い、心を安定させる場所が必要と考え、
自宅を開放してお茶会や食事会などを開き、
孤独に追い詰められかねない母親同士のつながりと信頼関係を築き上げました。
それが現在の「ママCaféかもみーる」につながります。
千葉さんたちの子どもを守る活動は、
「母親同士の交流会」と「放射線量測定チーム」の二つのチームを軸に
今日まで息長く続けられています。
市民が行政の先を行く
福島県富岡町に入るとロードサイドの店はほとんど閉じられたまま。
国道で目に付くのは汚染土を運搬するダンプと原発作業員を運ぶ大型バス。
千葉さんたちには子どもを守る活動を通して得た大事な教訓があります。
「震災以来、『未曽有の出来事』に対応するとなると、
私たちには前例もマニュアルもノウハウもないので、
国の言うとおりにやらざるを得ないという事情を知りました。
であれば、私たちが具体的な改善策を提案して、
それを叶えてもらうという形にしていけばいいのではないか。
行政よりも市民が先をいかないと、
新しい問題を解決していけないということなのではないか。
・・・続きはのんびる 1・2月号 で
この記事は、1・2月号特集でご紹介しています。
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